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REPORT

【第2弾】対談シリーズ「立ち止まって、考える」伊藤公雄×出口康夫【前編】

2020/04/17

対談シリーズ「立ち止まって、考える―パンデミック状況下での人文社会科学からの発信」第2弾・前編をお送りします。今回は、本学文学研究科名誉教授で現在、京都産業大学客員教授の伊藤公雄先生と、ユニット長・出口康夫先生の対談です。第1弾・藤原辰史先生との対談も合わせてお読みください(前編後編)。

なお、この対談は2020年4月3日に行われました。

出口康夫 (人社未来形発信ユニット・ユニット長、以下出口) 京都大学人社未来形発信ユニットの提供による対談インタービューシリーズの第2回を始めたいと思います。新型コロナウイルスのパンデミックの真っ只中にあって、われわれ人類は大変困難な事態に直面しています。また日々刻々と状況が変わり、それに応じて、さまざまな情報が飛び交う中で、われわれ自身の気持ちや日常生活、さらには国内外の社会全体も大きく動揺しています。このような状況下にあって、地域的にも、歴史的にも、より広く長いスパンでものを考える、ないしは原理的なところまで掘り下げてより深く考えるという人文社会知の姿勢を活かした発信をしていきたいということで、今回は京都大学名誉教授で京都産業大学客員教授でもあられます、社会学がご専門の伊藤公雄さんにお越しいただきお話を伺うことになりました。伊藤さん、よろしくお願いします。

伊藤公雄 (本学文学研究科名誉教授、以下伊藤) よろしくお願いします。

出口 われわれは、もともと京大文学部での同僚同士ですので、今日は割とリラックスしたというか。

伊藤 (笑)

出口 ずるずるの雰囲気になるかもしれませんが、状況が状況だけに緊張感を持ってやっていきたいと思います。

イタリアの社会とその現状

出口 伊藤さんは、社会学の様々な分野を幅広く研究されているわけですが、その一つがイタリア社会ということで、イタリアへの留学歴・滞在歴も豊富な方ですので、今回のイタリアの感染状況に関して、ダイレクトな情報をいろいろお持ちだろうと思います。それらを踏まえ、まずはイタリアの現状と、それについての伊藤さんの観察やお考えから伺いたいと思います。

伊藤 今日は4月3日です。4月2日段階のデータで、イタリアの感染者数は11万5242人、死者が1万3915人です。実は3月1日、2日、つまり今から1か月ぐらい前ですが、ちょうど昨日発表された日本のデータと同じぐらいですよね。死者数も3月1日の段階では34人で、2日で52人、3日で79人。1か月前では、まだ2桁だったものが、今は1万4000人近くに上昇している。日本がその同じ道をたどるかどうかは不確実ですが、こうした数字をみると、安心はできません。イタリアが患者数も死者数も急激に増えたのは、この1か月だということは、最初に押さえといたほうがいいのかなと思います。

よく言われていますが、何でイタリアでここまでということですが、社会文化的な要因は大きいのだろうとは思いますよ。ハグする、キスする(笑)。会えば必ず親きょうだいでも、友達でも、ハグをして両側のほっぺにキスをする。もう本当に濃厚接触するわけです。こうしたカルチャーは、他の国もあるけれども、イタリア社会はすごく強いところがある。親子関係と家族関係もものすごく密です。僕もたくさんのイタリア人の留学生を引き受けてきましたが、30年くらい前だと半年もたないって留学生が結構いた。他の国からの留学生は、まずそんなことはないのに、イタリアからの留学生だけは、半年ぐらいで帰ってしまう学生が何人かいました。なぜかと聞くと、家族に会えない、恋人と離れているのが嫌だという。当時、博士課程の最後まで残った女子学生がいましたが、彼女は、ボーイフレンドも一緒に日本に留学していた。現在は、そんな問題もなく、イタリアからの留学生も日本に定着してくれているのですが、30年くらい前には、家族と会えないことが、彼ら彼女らにとってほんとうにノイローゼになるくらいつらい状況だったようです。家族をはじめとするインティメートな関係についてのかかわりがすごく深い社会なんです。いわゆるパラサイトというか若い世代の実家での同居率も高い。特に男性の同居率が高くて、シングル男性は大体親と一緒に暮らしている。そうした若い男性が外からウイルスをもらってきて、ハグをしたりキスしたりする中で感染していくという方も多かったのではないかと想像しています。

おしゃべりの文化の影響も大きいだろうと思います。ものすごく身近で唾を吐きながらしゃべる。かつて、イタリア社会入門のような本を読むと、イタリア人は政治好きで、路上で政治談議を熱心にしている、と書いてあるものをよく見ました。実際、イタリアに行くと、路上で大声で論争をしている。でもよく聞くと、トトカルチョの予想で激論している人の方が、政治談義よりも多いことに気が付きました。でも、とにかく唾を飛ばしつつ大声で喋る文化があるのは事実です。そういう文化的な要因というのは、多くの人が言っているけども、今回の感染拡大の背景ではあるのだろうと思いますよね。

それに、これもよく指摘されますが、高齢社会の問題も致死率を上げているのだと思います。テレビなんかでも言っているけど、日本は世界一の高齢社会で、65歳以上が28%ぐらい。イタリアは23%で、世界2位の高齢社会です。外から持ってきたウイルスに感染して高齢者が重篤化して亡くなっている。亡くなっている人の8割以上が70歳以上だといわれています。最近若い人の死者も増え始めているけど、初期は70歳以上が死者の大部分を占めるような状態だった。高齢社会という課題は、日本とすごく関連している問題でもありますよね。

これもまた言われていることだけど、EUに加盟したことで財政健全化が求められて、財政の緊縮が要求されてきたことも原因であるのは間違いない。緊縮財政のなかで病院が閉められたり、ベッド数が減っていったりするという状況がある。これも、今回のイタリアの状況の背景にはあったのだろうと思います。もっと言うと、イタリアの場合、公的医療は無料です。僕の想像ですが、感染したとか熱があるという人がどんどん病院に行く。中には感染者がいて、お医者さんが対応し、そのお医者さんが感染する。それがどんどん繰り返される中で感染が広がっていった部分というのもあるのかなと思います。聖職者、神父さんたちも何十人と亡くなっています。カトリックですから臨終のときには終油の儀式が必要です。お葬式での感染もあるらしい。こうしたいろいろな接触の中で、いつの間にか急激に広がっていってしまったのだろうと思います。

緊縮財政でイタリアのベッド数は減っているというけれども、今日、どこかの新聞で出ていましたけど、いわゆる集中治療用のベッド数というのは、人口比でみるとイタリアは日本の倍あると言われている。もちろん、ドイツなどと比べるとイタリアの集中治療ベッド数は半分から三分の一といわれます。でも、そのイタリアと比べて、日本はその半分しか集中治療ベッドがない。これで日本がイタリアのようになったら、もっと悲惨な状態になるのだろうなと僕は思います。医療状況をみても、日本は、イタリアを冷静に見ていられる状況にはないということも考えておいたほうがいい。

もう一つの大きな要因は、中国との関係だろうと思いますね。最初に感染が発見されたのは、1月31日にローマで中国人の方が2人、これが最初の感染者でした。

出口 それは旅行者でしたよね。

伊藤 中国人旅行者がお2人感染。イタリアと中国って現在関係が深いのはよく知られていることです。一帯一路で最初にヨーロッパで港を提供しているのはイタリアです。習近平首席もイタリアを訪問しています。1990年代ぐらいから急激にイタリアへの中国人移民が増え始めているという状況もあります。今回イタリア北部が大きな感染地になったわけですが、北部が、中国人の移民が多い。特に、繊維産業は、中国人経営の会社がイタリアで作ってメード・イン・イタリーで販売する形で急激に拡大しています。もう一つは中国人旅行者です。今回ヴェネツィアも一つの感染地の大きな場所になっていますけども、ヴェネツィアなんか行ったら本当に中国人旅行者ばっかりでした。僕は2014年にヴェネツィア大学、カ・フォスカリ大学で、客員教授として2か月ほど日本の社会と文化という授業を持っていました。街に出たら中国人ばっかりでした。それこそオーバーツーリズムでひどいことになっていました。それに加えて、移民の形で急激に中国の人が入っている。もちろんこれに対する差別問題も生まれています。ミラノなんかでは中国人の店が襲撃されたりするというのが2010年ぐらいにすでに起こっていました。

2014年のヴェネチア (伊藤先生提供)

ヴェネツィアにいたときに、日本からの学生派遣プログラムで日本の学生が何人か来ていました。全然イタリア語ができない学生もいましたが、あちらの大学の日本語学科の学生たちを通訳にして調査をしたりしていました。その日本から来た男子学生が公園にいたら、子どもに「おまえ中国人だろ、向こうへ行け」って言われたと言っていましたね。彼はイタリア語はわからないのですが、通訳のイタリア人の学生に聞いたら、そう言われたのだと言っていました。ただ、そのときに面白いなと思ったのは、中国人差別はあるのだけれども、何で差別するかというと、中国人は金持ちだから差別されても仕方ないのだ、とイタリアの人たちは言うんですね。つまり、われわれより裕福な生活をしている人たちだから差別してもいいということです。そういうゆがんだロジックで中国人差別が行われているというのを聞いて、そうしたこともあるかなと思いました。トスカーナのプラートという街が有名なのだけど、繊維産業で最初に中国人が入ってきて、急激に工場を買い取って、ほとんど中国人が支配する街になってしまっていると言われています。ある面、中国人が豊かでイタリア人が貧しいみたいな関係が北部では若干作られている部分もあったのかなと思います。

いずれにしても、中国と北部イタリアのつながりというのは強い。今回は、特に春節があったので、中国とイタリアを行ったり来たりする中国の人たちが、ウイルスを持ち込んだ、というのも結構あったのかなと思います。ただ、今は逆にイタリアから中国に帰った人が、ウイルスを持ってきて広げているみたいな、逆の動きも出ていると言います。そのようにイタリア北部と中国との関係というのもイタリアでの感染の広がりの背景にはあるのだろうと思います。このようないろいろな要因が重なり合って、現在のイタリアの悲惨な状況が生まれたのだろうなと思います。

イタリアおよびヨーロッパの政治、思想状況

出口 イタリアは、中国に次いで2番目に都市封鎖に踏み切りましたよね。あの措置は、イタリアの現代政治の文脈の中で、どのような政治的背景や意味を持っていたのか。人々はそれをどのように受け止めたのか。例えば、驚きを持って受け止めたのか、また首相の政治的腕力の演出と見なされたのか、いかがでしょうか。

伊藤 いや、イタリア人にとっては、もうしょうがない。今は政権基盤はそれほど強くないので。今、政権は民主党と「五つ星運動」の連合政権です。リベラルレフトの中道左派的な政府が政権を担っている。五つ星を右派とするか、左派とするか、中道とするかは難しいのだけど。

出口 いろいろ難しいですね。

伊藤 以前は、右派の「同盟」という完全な排外主義政党が五つ星と連合して政権を担っていた。もしそのブロックで今回の事態を迎えたら、もっとひどい状態になっていたと思います。多分、現在以上に不要な統制が進んだだろうと思います。排外主義政党が強かったので、それこそ中国人に対する公然たる差別が、合法的にかどうかはわからないけど、ある種許容されてしまうような状態があったかもしれません。今は一応、元共産党が主流派の民主党と、一応環境政党であるポピュリズム政党の五つ星の連合政権なので、まだ比較的そういう強権的な対応ということではないはずです。実質的には、都市部では、身分証明書や許可証を持たないと外へ出られない。フランスもそうだけども、外出制限が行われているわけですが。

ただ、イタリアの人たちと連絡取ってみると、家にいてしんどいけれども、そんなに強権的に、何か自分たちが抑圧されているという雰囲気ではないですよね。今は仕方がないという感じです。ネットなんかで広がったけど、高層マンションの間では、午後6時にみんなで歌を歌ったり(笑)、音楽を奏でたりしながら、ある種の交流がされたりするという動きもある。いろいろな工夫をしながら生きているのだなと思います。

出口 では、イタリアの言論界や思想界の雰囲気はどうでしょうか。例えば、このコロナパンデミックを受けて、イタリア社会は、もう後戻りできない仕方で、不可逆的に変わってしまうだろうという予測やら、いやいやそのようなことはないだろうといった意見も出ているのでしょうか。

伊藤 アガンベンが、彼がシュミットから借りてきて広めた「例外状態」という概念を使いながら今の状況を捉えています。まさに例外状態という緊急事態が生じて、管理型の仕組みができていると発言しています。実際そうなのだろうと思います。僕は一応イタリアの戦前から戦後史、特に政治文化史をやっていたのですが、面白いのは、イタリアって社会的な揺り戻しというのがよくある。例えば80年代初頭。僕がちょうどイタリアに留学をしていた頃です。この時期はテロリズムの時代で、しかもマフィアの内ゲバの時代でもありました。毎日すごい数で人が死んでいた。そのときは確かに徹底した管理強化がされた。でも、しばらくたつと揺り戻しがあった。つまり、管理のあとには開放的な時間があり、また管理がありというかたちで行ったり来たりする。一時的な管理強化・治安強化の時期があっても、ある種の揺り戻しができるぐらいの市民社会の成熟が、ヨーロッパの現代社会では結構あるのではないかと思っています。今回多くの国が、ある種の例外状態的なかたちで徹底した都市封鎖や住民の管理をしたわけだけど、恐らくそれに耐えているのは、今を乗り切れば、もう一遍わりとリベラルな社会が帰ってくるという、そういう経験をもっているからではないでしょうか。日本はそれが残念ながらない。多分日本で急激な管理にいってしまったら、しばらくはそのままかもしれないなと思います。

出口 つまりイタリア会社には、それなりのレジリエンスないしは復元力が備わっていて…

伊藤 そうそう。ある種、跳ね返すレジリエンスの力があります。まあイタリアだけではなくて、恐らくヨーロッパの多くの社会がそうした力をもっているように思います。

出口 社会の跳ね返しというか揺れ戻しを、共に経験している市民層がそれなりに分厚いので、今度もまた戻れる、いや戻ろうという、そういう気概やポテンシャルが社会に根付いているということですね。

伊藤 多分そうだと思う。アメリカとか日本は、もしかしたら、逆に危ないかもしれないなと思う。あんまりそういう揺り戻しの経験がない。

出口 そうですね。あまり、そういった経験は共有されていませんね。

伊藤 アメリカはマッカーシズムの時代とそれ以後という、揺り戻しの経験はあるといってもいいのかもしれないけど。経済状況と絡めて悪化すれば、そういう統制型の仕組みが、あちこちで長く続く可能性は出てくるかなとは思います。

出口 話はまた変わりますが、EUに対して、イタリアの人たちは、現在、どのような考えや感情を抱いているのでしょうか。ネガティブなファクターとしては、EUの財政規律によって、イタリアの医療予算や医療体制が大幅にカットされてきたという側面があるでしょうし、ポジティブな要素としては、最近、イタリアの重症患者がヘリコプターによってドイツの病院に運ばれているというニュースが報じられていましたが、そういったEU域内での助け合いを通じて、EUに加入しているメリットを人々が感じている側面もあるのでないかと思いますが。

伊藤 基本的に自分の国でやらなければいけないわけですが、ある意味の助け合いというのはあるのだろうと思う。僕は、今回これでEUが分裂するということにはならずに、むしろ、もう一遍再建の方向にいくのでないかとは思っています。EUは確かに規律が厳しくて、特に南欧社会、いわゆるPIGSっていわれた国々はお荷物扱いされてきた。PIGSというのは、ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペインですね。その中でもポルトガルは、今、調子がいいのだけど、そのPを除けば、IGSは今でも結構経済的に危ないので、EUの規律の中でしんどい思いをしている。だから、反EUの雰囲気というのは強い地域です。でも、今回、逆にEUの助け合いの中で変化が生じる可能性もある。EU全体で共存する方向を目指さないと、多分ヨーロッパ社会そのものが存立しないのではないかと思うくらいです。だから、ポストコロナの時代は、むしろ枠組みとしてEUが強化される可能性もあるのではないかと思います。

日本の現状

出口 わかりました。お話しいただいた、イタリアの現状や政治状況・思想状況も踏まえたうえで、先ほど、もしかしたら1か月遅れのイタリアかもしれないとおっしゃった日本の今の状況をどう見ておられるでしょう。

伊藤 いや、僕はあきれていますよ(笑)。4月1日にマスクを2つ全所帯に配るというのが決まったようですが、本当に嫌になる。イタリアの話を先ほどしましたけれども、本当は2月の前半ぐらいで、パンデミック化するのがわかり始めた段階で、日本政府はやるべきことをやっていないのですよね。何をやるべきだったかっていったら、イタリアの今の事情を見てもそうですが、まずは検査の体制を充実する。次に感染者を振り分けて、軽症者は隔離する場所を準備し、重篤患者の命を守るような体制を作っていくということが必要でした。少なくとも2月の半ばぐらいには、こうした対応を準備し始めなければいけませんでした。例えば先ほど言ったように、日本はICU、集中治療ベッドがOECDの中でも図抜けて少ない社会です。重篤者が増加したらどうするのか。例えば体育館とかを利用してベッドを設置していくようなことも必要です。イタリアとか、もうテントを作ってベッドを増やすことをやっています。多分軍隊のテントだと思うのだけども、野外型で、緊急の重篤者をレスキューするような、そうした仕組みを、日本政府も少なくとも2月中には想定して準備していかなければいけなかったのに、何にもしてこなかったというのが大きな問題だと思っています。

ヨーロッパの多くの国々では、すでに現金支給を始めていますよね。しかもユニバーサルなかたちで。つまり所得制限とかなしにです。とにかく現状の生活の困難を乗り越えるような仕組みを作り出している。ある種、ベーシックインカムを実験的にヨーロッパ諸国はやっているという感じです。でも、日本の場合、いまだに現金給付の仕組みも踏み切れない。消費税の減税などの声も上がっていますが、消費税減税はやっても効果が出てくるのには時間かかる。やるなら現金給付のほうがいい。とりあえずは制限なしでユニバーサルなかたちで配る。日本政府も現金給付はやるって言っていますけど、実際に始めたら、ものすごく煩瑣(はんさ)な手続きが必要になると思う。日本の場合は、いろいろな制度はあるのだけども、制度の使い勝手が悪い。その使い勝手の悪い仕組みの中で現金給付が始まったときには、多分混乱も起こるし、十分なかたちでお金が回らないのではないか。

日本は福祉が遅れていると言われることもあるけれど、実は福祉制度はすごく充実している。だけど使えない。多分必要な人が使ってしまったらパンクするぐらいの準備しかされていない福祉なのだけれども、制度的にはすごく整っている。ただ、何度も言うけど使い勝手が悪い。その仕組みで現金給付をやったら、多分必要なところには回らないのではないかなと思いますよね。先取り先取りで対応しなければいけないのに、今の日本の安倍政権はうまく機能していない。

現在、政府の中心になっているのは経産省と警察です。経産省は何を考えるかというと、大企業を防衛することを考える。だからリーマンショックと同じようなかたちで、大企業に対するさまざまな融資の枠を作り始めていますよね。一方で、警察は、まさに統制管理のことしか考えない。今回、戦争って言葉が、この新型コロナウイルスとの戦いで使われているけど、戦争ではない。どっちかというと、戦争って攻撃しなければいけないのだけど、今回は守らなければいけない。でも、守る体制ができていない。早い段階で守りの体制を整備しておくべきです。最初から負け戦なんです。ウイルスは見えないし、制圧はしきれないわけだから、いかに損害を少なくするかというかたちで体制を作らなければいけない。でも、政府にとって、守るべきなのが、日本に住んでいる人の命や生活ではなくて、一部の人たちの利害だけが守られる仕組みになっている。

特に安倍さんというのは、やはり、お坊ちゃんです。危機管理ができない。自分の立場を守るということだけで動いているので、言葉も空疎だし、政策的にも多分自分で決めていない。ほかの国のトップのように判断を自分でしているのだったら、記者会見でもたいていの質問に対して答えられるはずなのに、プロンプターを見ながらでしかしゃべれない。あらかじめ決められた質問にだけ答える。先日は、勇気を持って、予定外のジャーナリストの質問にもいくつか答えたみたいですが、けっこう頓珍漢なやりとりになっている。トップとしての判断力がすごく弱く、周辺の人たちの判断に従いながら動いているのだろうと思います。

しかも、この間の森友事件、加計学園の事件、さらに言うと桜を見る会の事件を含めて、官僚組織が忖度型になってしまっている。かつてだったら厚労省にしても財務省にしても、官僚たちが自分の判断で動くということができたはずなのに、官僚たちが、官邸が決めることに従わないと自分が守れないという構図になっている。本来動くべきところが完全に金縛りになって動けなくなってしまっている。

唯一少しだけ機能しているのは多分医療関係者の専門家の会議。専門家たちは、2月の会議が設置された段階で、先ほど僕が申し上げたような検査を徹底することと、軽症者と重症者を選別しながら、重症者を、命を守るようなかたちで対応するようにずっと勧告していたわけです。でも、それをやっていないわけですよね。専門家の意見も聞かずに、その場、その場の思いつきみたいな判断で動いてしまっている。すごく危険な状態です。それこそ先ほどのヨーロッパの都市封鎖だったり、交通遮断だったり、移動の制限だったりを始めてしまったときに、その後のレジリエンスが可能なのかという疑いがある。今、アベノミクスの失敗で経済がシュリンクしているので、さらに統制しないともたなくなってしまいかねない。今後、統制型の仕組みが強化されてしまうような状況がくるのかもしれないなって、すごく嫌な感じもしていますよね。

出口 日本は今、中央政府・安倍政権が、機動的に動かないといけない局面にあるのに、諸外国と比べても、必ずしもそうなっていないのが非常に問題であると。

伊藤 今、まだ安倍政権の支持率が高い。高いといっても、それは当たり前のことで、大体危機状態というのは現状維持にみんなが傾く。だから、現状の統治体制にむしろ支持が向かうというのは多くの国で経験していることです。特に戦争体制なんかになると必ず支持率は上がるわけですよね。パパブッシュの湾岸戦争のときとか、ジュニアのほうのアフガン、イラク戦争等々を含めてですが。だから、安倍さん以外は、大体多くのところは統治者に対する、政府に対する信頼感がそれなりに高まっている。でも、日本はそんなに支持率は上がっていない。若干落ちたというデータさえある。政府に何とかしてくれという思いは強いけど、その結果がマスク2つかよという事態です。その結果、社会的にも政府に対する信頼感が失われつつある。今度、逆にまたそれが統制につながってしまうみたいな悪循環も生まれかねないかもしれないなと思いますよね。

地方自治

出口 では地方自治体はどうでしょうか。緊急事態宣言が出された場合、各知事が大きな権限を持つことになります。その場合、日本の地方自治の仕組みや、地域社会のあり方が改めて問われることになるでしょう。日本の地方の現状をイタリアと比べてどのように見ておられますか。

伊藤 イタリアも、いわゆる地方自治の制度が拡充するのは70年代です。イタリアは第二次大戦で、実は敗戦国ではない(笑)

出口 ええ、実は戦勝国だったわけですよね。その点、日本に比べても非常に上手く立ち回ったわけですが。

伊藤 当時のイタリア王国は1943年に、連合国と休戦協定を結んで和睦している。ただ、ヒトラーの支援で、北部にムッソリーニのいわゆるサロ共和国、イタリア社会共和国というのができる。その後、イタリア王国とサロ政府、さらにレジスタンス勢力の三重権力状態が生まれる。最後はレジスタンスを中心に、サロ共和国を、つまり、ヒトラーの傀儡政権をつぶすってかたちで自力解放している。だから、イタリアは、ドイツや日本とはちょっと違うかたちで戦後を迎えたわけです。

とはいえ、戦後は、イタリアの場合は地政学的にも日本とすごくよく似ていて、アメリカ軍が駐留する仕組みが作られる。アメリカの影響で政治が動くという仕組みでずっときている。ただ、日本と違うのは、戦後、王制を国民投票で廃止した。これはかなりぎりぎりの票差だったのだけど、共和国になった。日本の場合は、イタリアと違って、天皇制を残したわけです。まあこれは基本的にはアメリカが残したわけだけど。

イタリアでは王制は廃止され、共和国憲法が作られた。一応そこでは地方自治の原則がうたわれたのだけれども、地方自治はなかなか進まなかった。70年に、いわゆる地方自治についての制度が憲法にのっとったかたちで整備される。州政府が結構力を持つかたちの制度になった。今回も、だから一応決めているのは州政府のはずです。中央政府も指示は出しているけど、基本的に州政府の判断で動くかたちになっている。南北問題もあるし、中央政府の指示だけでは動きません。地域ごとの独自性を担保しながら政策を決めていかないと動かない。

日本の場合は、今回、僕が面白いなと思ったのは、北海道です。現知事は、菅官房長官の息のかかった方ですが、それなりに独自に動いた。和歌山でも保守系の知事が、結構独自の判断で検査をやったり対応したりしている。和歌山モデルみたいなもの作ったりしていますよね。これは地方自治法が改正されて、地方自治体がそれなりに力を持つという制度が、日本の場合は21世紀になってからですができました。国と地方自治体が対等な関係になったのです。この改正によって、一応、都道府県に一定の権限が与えられました。いわゆる新型インフルエンザの法律、特措法についても、地方自治体が一応、対応することになっています。だから、今回は、日本の地方自治が試されるかたちなのかなと思いますね。地方自治はデモクラシーの基本でもあるわけです。日本の社会が地方自治というかたちのデモクラシーを、いかに強化できるか。逆に言ったら結局中央政府にコントロールされてしまうのかどうか。多分、日本政府は地方交付税とかいろいろなかたちで影響力を行使しようとするだろうけど、それに対抗するかたちで地方自治体が都道府県民の命を守る、住民の生活を守るかたちで動けるかどうかって、結構大きな転換点になる可能性があるのではないかと思います。

(以下、後編に続きます。)

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